karuna yoga

クリパルヨガと、東洋医学と、私

off the mat (人生こそが本番)

池袋で漢方&クリパルヨガのクラスをスタートさせて、2ヶ月が経ちました。

体験会からは、早4ヶ月。

通い続けてくださる方、足を運んでくださる方に心から感謝でいっぱいです。

 

このひと月ほどは、心身ともに私がエッジに留まり続けていました。

(クリパルヨガのエッジの概念については、また改めて書きます。)

 

本当に苦しく、限界だと思われるときに自分を助けてくれるものは、そばに居てくれるひとであり、大好きな音楽であり、娘の存在であるのだけれど、

何よりも、いつでも今ここにある全てを受け取って歩んでいける自分のあり方であるような気がとてもした、長い長いひと月でした。

その間、私は私を生きる体験を放棄しなかったし、常にそこに寄り添っていたように振り返ります。

 

ヨガが、私を助けてくれた。

正確には、ヨガで身につけてきたいろんな要素が、私を助けてくれたと強く感じました。

 

正解は誰も教えてくれない。

自分のなかにあるものを信じて、この人生を探求していくしかない。

 

さて。

あなたは、なんのためにヨガをしているのだろう?

身体を柔らかくしたいから?ダイエットしたいから?不調を治したいから?

 

クリパルヨガが目指すことは、マットの上でのヨガの練習での気付きを、日常を生きるヒントとして相互にリンクさせていくことにあります。

 

なぜなら、人生こそが本番だから。

 

ヨガマットの上で起きていることを日常とリンクさせるために必要なのは、マットの上で何に気づき、何を感じ、何が起きているのかに気付いている在り方を身につけることなのだと思う。

判断のない気付きを自分に向け、エッジの中で自分の可能性を開き、リラックスして目の前で起きていることを体験し続けること。

そして、その在り方を、ある程度習慣化すること。

慣れ親しんだ感覚やものに執着にするわけでも、慣れ親しんでいない不快感を払いのけるのでもなく。

今、多くのヨガは実践が目的になり、正しく奇抜なポーズを綺麗に取り、正しい呼吸をすることが目的になり、体験することが不足しています。

マットの上では素晴らしく優れていたとしても、ひとたびマットから離れると心と身体がバラバラのままで生きているという、ヨガの先生や生徒さんは少なくないように思います。

 

大切なことは、ヨガの練習が正しいか、その実践が正確なのかどうかではないのです。

繰り返しますが、人生こそが本番なのだから。

 

最近、クラスに通ってくださる生徒さん一人一人が、日常での自分の在り方と、ヨガクラスでの在り方のリンクに気づき始めていることを、シェアリングを通して感じます。

その姿に、私自身が何度勇気づけられたことかわかりません。

 

自分を丸ごと抱きしめて、寄り添って、苦しみの中にあっても光を見出し、一歩を踏み出していく智慧を、本来誰もが持っています。

 

苦しみや痛み、悲しみや不調のない人生が素晴らしいのか。

それさえなければ幸せなのか。

私は、そうではないと強く思う。

それらの排除したくなるような苦しみの中にも、大切な真実の自分自身がいる。

治る、とはなんなのか。

私は、自分自身になることだと思っているし、そう確信してヨガをし、伝えています。

 

慈しみをもって、自己観察をし続ける。

意図を持ってヨガマットの上に立ったら、強い意志で自分を観察し続ける。

呼吸と動きと、身体感覚を体験し続ける。

 

いつでも、今ここから始める。

意図を持って体験し続けたら、必要なことは全て起きると信じ、委ねる、、

 

今に存在し続けるためには安定した身体という「器」「土台」が必要です。

 

そのために、中田英之先生の黄色いチラシ=養生の実践があるのだと、私は考えています。

 

不調を感じたときほど、そこに戻り、また歩いて行きましょう。

 

そして、ヨガマットの上で自分自身でヨガをする習慣を、少しでも意識していきましょう。

 

必ず、自分自身が自分を勇気づけて、助けてくれるから。

 

長く感じた2019年の梅雨が終わり、そう感じてます。

 

 

 

眠いので・・・そろそろ寝ますzzz