karuna yoga

クリパルヨガと、東洋医学と、私

ジャーナル

今日のヨガ。

 

ある出来事があって、身体の調子がなかなか戻らず下腹部に痛みがあるため、大きな動きは出来ない。

痛みがある故に自分の身体を否定し、否定するからまた、痛む。

その悪循環の中に居ることは感じている。

 

こういうとき、黄色いチラシ(中田英之先生監修の養生の基本)の実践が何より役立つことも、体験から理解している。

けれど、調子の悪いときに限って、身体は悪いものを欲しがる。

 

コンビニでビールが私を呼んでいる・・・のをなんとか振り払い、

家の冷蔵庫で白ワインがおいしそうに冷えている・・・のも、なんとか振り払う。

(結局私を誘惑するものの多くは、お酒であることに改めて気付かされる)

 

娘を寝かしつけ、重い身体でヨガマットを敷く。

まずはモードを作るためにイヤホンをして、大好きな音楽を聴く。

仰向けでゆっくり股関節を回したり、広げたり、足を上げてストレッチしたり、

完全呼吸で脇腹を緩めたりしてみる。

次第に、身体を感じることだけに集中していれば良いのだという喜びを感じてくる。

ただ、ここにある感覚だけ。何も意味づけは必要ない。

 

テーブルポジションから、ゆっくり骨盤を回し、股関節を回してみる。

熱とともにプラーナ(気)が起きてくるのを瞬時に感じる。

この、スペース、そこから生まれる熱とプラーナ、痛みと緊張、弛緩、小さな命の揺らぎだけが、私そのものなのだ、と気付きがやってきた。

 

いろいろなストーリーが私を作り、私について語ろうとする。

たくさんの理由が痛みの中に存在し、善し悪しの判断をしようとする。

明日の仕事への不安を語り、出来ないかもしれないことを想像し、言い訳をしたがる。

 

 

そのストーリーに巻き込まれない。

出来るだけ優しく、今身体で起きている感覚や呼吸へ意識を戻してくる。

そして、

私はどうありたいのか?

改めて自分に問いかけてみる。

 

スペースを感じていたい。

身体の中にも、心の中にも、内と外の間にも。

世界と私とを隔てるものはなにもないことに一瞬で気付かせてくれる。

ここに居たい。安全な私でありたい。

 

そのために何が出来るのか?

基本に戻ること。

養生を実践して、器を作ること。

そして、ヨガをして、何度でもまたこの安全な場所に戻ってくること。

 

 

皆さん既にお気づきのように、本当に誰よりも私がこのヨガと、養生の実践を必要としています。

だから、ヨガを教えています。。。

 

人生は、私たちに完璧であることを求めてはいません。

今この瞬間の、そのままの自分に気付いていることなのだと、改めて痛感します。

 

皆さんが、少しでも穏やかに眠れますように。

今日もお疲れ様でした。

 

(ジャーナルはこんな風に、なんでも有りです。良かったらご参考まで♡)

 

 

akana